パブロ・ピカソは20世紀で一番有名な画家、その美術館「パリ国立ピカソ美術館」がパリのマレ地区にあります。
国立美術館となっているのは、ピカソ死後、遺族がフランスへ相続税として納めた作品が展示されているからです。
美術館となったのは、17世紀に建てられた「L'hôtel Salé 」塩の館です。
マレ地区はフランス王が一時居住していたことで、当時建設された個人の小さなお城が今でも残っていますが、その中の一つがこの塩の館でした。
美術館へ行くには、サンポール駅で降りて、セヴィニエ通りのカルナヴァレ美術館を通っていくと分かりやすいです。
2014年には、ニューアルされました。
現在コロナで閉鎖されていますが、夏にはまた最オープンとなってほしいものです。
パリ国立ピカソ美術館と行き方
パリ国立ピカソ美術館と最寄り駅
地下鉄1号線のサン・ポール駅を降りて、そこから北へ徒歩10分ほどのところにあります。
駅の前がリヴォリ通りで、駅の広場にメリーゴーランドが見えます。

そのままリヴォリ通りを東へ行くと、教会があります。

教会の前がセヴィニエ通りで、カルナヴァレ美術館を通り越していきます。

この通りの名前は、セヴィニエ夫人(マルキーズ・ドゥ・セヴィ二エ)からきています。夫人は現カルナヴァレ美術館に住んでいたのです。
セヴィ二エ通りは最後に行き止りになるので、そこを左に曲がると、この広場が見えるまで真っ直ぐにいきます。

この広場に表札がありますが、斜め東に行くと、ピカソ美術館が見えてきます。
パリ国立ピカソ美術館(塩の館)
ピカソ美術館は小ぶりです。

ロワール河のほとりには大きな城(シャト)がありますが、しかしパリ市内にあれば、ホテル・パルティキュリエと言って、小ぶりなものです。

17世紀にたてられた「オテル・サレ(塩の館)」は、建物の所有者フォントネー氏が、塩税の徴収をしていた役人であったことから、塩の館と言われています。
正面から入った中庭も広々としています。

建物は1964年にパリ市の所有となり、現在点数としてピカソの遺族によって収められた作品を収蔵しています。
ピカソはスペイン人ですが、祖国の内戦によりパリに長い間住んでいたことと、1973年に亡くなるまでの膨大なコレクションがあり、作品数は3000点とも5000点とも。
パリ国立ピカソ美術館の館内

1階から2階へは階段があります。

白を基調としつつも天井の梁がアクセントになっています。
5階建てで、屋上の庭も窓から見えます。


上の階に行くには、エレベーターもありますが、階段からも行けます。

ピカソはどんな画家だったか

ピカソは、スペイン生まれの画家(Pablo Picasso)ですが、ほぼ一生をフランスで過ごした画家です。
非常に多作な芸術家で、油絵だけでなく、デッサン、版画、彫刻、陶器などの作品をも製作していました。
パリとバルセロナを行き来し、青の時代の作品を描いて行きます。
作風は青の時代、バラ色の時代からキュービズム、新古典派主義、シュールへと作品を重ね、時代により作品がハッキリと違っています。
キュービズムに関しては、複数の視点からとらえた物の形を一つの画面に描写した、表現方法を確立しました。
作品の中でも一番有名なのは、キュービスムとシュールレアリスムの作品のゲルニカでしょう。
当時のナチスがスペインのゲルニカを爆撃したことを非難した大作です。
10. 🏛️This iconic image, “Guernica” painted in 1937 in the midst of the Spanish Civil War, was entrusted to @MuseumModernArt in New York. Now you can find it at @museoreinasofia in Madrid.
— Queen Sofía Spanish Institute (@qssi_ny) April 8, 2021
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この絵は、スペインのマドリードのソフィア美術館にあります。 私は最初にこの絵を観た時は、その迫力に感動しました。 マドリードには、プラド美術館もありますが、このゲルニカのおかげで、ソフィア美術館に行く観光客数が保たれているようです。
パリ国立ピカソ美術館所蔵品
パリのピカソ美術館のいくつかの絵画です。
1918年の「ローゼンベルグ夫人とその娘」↓です。

1939年の「横になって本を読む女」↓

など、それぞれの時代の作品が多数あります。
パリ国立ピカソ美術館情報
ピカソ美術館はいつも超満員ということもなく、ゆっくりと見れるのが良いです。