ピエール・カルダン、訃報後のパリ8区のブティック
ファッションデザイナー、クチュリエのピエール・カルダンさんがフランス時間で29日の午後、98歳でなくなりました。
ご家族が、パリのヌイ市にある私立病院のアメリカンホスピタルで息をひきとったと発表がありました。
今年10月に亡くなった高田ケンゾーさんがコロナで入院していた病院です。
モード界の著名デザイナー、クチュリエから、カルダンさんへ多数の追悼のメッセージがあり、フランスモード界に革命を起こした偉大なクチュリエという内容が多かったです。
そんなカルダンさんの革新的な業績とはどのようなものだったのでしょうか。
ピエール・カルダンさんの生い立ちとモード界への革命
1969年のコレクション。
ピエール・カルダンさんの革新的なモード
追悼文には、ファッションデザイナーの、ジャンポールゴティエさん、シャンタルトマスさんがツイッターで投稿されていました。
その中で、旧マヌカンでテレビ番組司会者クリスチナ・コルドゥラさんからは、
革命的なクチュリエのピエール・カルダン。彼はいつ時にも時代に先駆け、将来をみこしていた。
とのコメントがありました。
そのように言われているように、カルダンさんの作品は、上のツイッターのコレクションのように、シックでエレガントなドレス以外でも、将来へ先駆けたコレクションを発表していました。
宇宙服のようなデザインは、1990年代に驚くこともなくなりましたが、1960年代にデザインしていたことで、「将来に先駆けた」という表現をされていました。
また、当時は白人ばかりのモデルのなか、黒人や、アジア人のモデルの起用をはじめるなど、革新的な考え方をしていました。
その後、オートクチュールから、プレタポルテの世界展開をして行くのでしたが、カルダンさんは、イタリアからフランスへ移住してきています。
ピエール・カルダンさんの生い立ちとファッションデザイナー
ピエール・カルダンパリ8区ブティック店内
カルダンさんのご両親はイタリア人で、カルダンさんは10人兄弟の末っ子。
1922年にカルダンさんはイタリアで生まれ、戦後貧困状態から1920年代にフランスへ移住してきたのですね。
ロワール県のサンテチエンヌへ落ち着き、1936年にフランス国籍を取得しています。
14歳からサンテチエンヌの紳士服のテーラーで、最初は経理係、カット係を担当し、その後パリへ上京し、ジャンヌ・パキャンのクチュリエに入っています。
そこでジャンコクトー、クリスチャンベラーと親交を深め、1946年には有名映画の「美女と野獣」の衣装を手掛けるなど、すでに才能を発揮していました。
その後、クリスチャン・ディオールのメゾンへ、第一テーラーとして才覚を出し、「ハーパーズ・バザール」紙によると、テーラーのコレクションは成功だった言われています。
しかし、クリスチャン・ディオールのメゾンを任されたのはイヴ・サンローランでした。
「イヴサンローランとクリスチャンディオールについては↓をどうぞ」
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カルダンさんは、クリスチャン・ディオール死後にはディオールを去り、舞台衣装のクチュリエ店を買い取り、自らのオートクチュール店を開くこととなったのです。
その後、1957年年から約10年はオートクチュールでコレクションを発表し、1960年代にはパコ・ランバンや、アンドレ・クレージュとともに、革新的な未来形のデザイナークチュリエとなっていくのでした。
オートクチュールのクチュリエとして認められ、クチュリエ、スタイリスト育成の学校L'École de la chambre syndicale de la couture parisienne (ECSCP)のメンバーとなっています。
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また、オートクチュールと並行して、1950年代最後にはすでに、世の中の動きを察知して、プレタポルテのコレクションを発表し、話題をまき散らしたのですね。
オートクチュールのコレクションは華やかですが、購入者がごく一部の層に限定されており、売り上げや利益の面で事業の継続は厳しいのも事実です。
そこで、プレタポルテ戦略を推し進めていくのでした。
世界中にピエール・カルダンのブランドを作り上げ、フランスチャイズ化していったのです。
世界100カ国に、カルダンのブランド品が販売され、2019年には、資産が600万ユーロと推定され、フランス人クチュリエとしてもトップ5本の指にはいっているようですね。
プレタポルテ展開の才能にはビジネスマンとも、形容されています。
ピエール・カルダンパリ8区ブティック店内
オートクチュールからプレタへ転身し、レストランやブドウ畑の買収も含めビジネスを多角化したことには、羨望以外の評価もあるようですが、フランスでは広く雇用に貢献したのは事実です。
ピエール・カルダンパリ8区ブティック横のマキシム
批判はあっても、70年間モード界に君臨できたバイタリティーには敬意を払いたいですね。
コロナで今はレストランもしまっていますが、落ち着いたら、こちらこのマキシムにも行ってみたいと思っています。
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