パレ・ロワイヤルはパリ1区にある、旧王宮でした。
現在はここに、色々なブティックやカフェ、レストランがあります。
その中の有名はレストランの一つがル・グラン・ヴェフールです。
その他に回廊にカフェがあります。
2024年1月に行ったにミュスカドのパティスリーを追加しました。
パレロワイヤルの歴史
パレ・ロワイヤルは回廊にかこまれており、真ん中に中庭があります。
元々、リシュリュー宰相が建設し、ルーブルに住んでいた13世に遺贈されたものです。
学院側の中庭です。
回廊の柱です。
リシュリューの死後、ルイ14世がルーブルから移り住むことになり、王宮(パレ・ロワイヤル)と呼ばれるようになりました。
その後パレ・ロワイヤルにはルイ14世の弟のフィリップ1世が居住し、敷地内に音楽学校や舞曲学校を設立しました。そしてフィリップ1世の豪華な取り巻きらが集まる一大サロンとなりました。
その後ルイ16世統治の時代、ルイ・フィリップ2世がパレ・ロワイヤルを市民に解放する目的で、中庭にある回廊の部分を大々的に改装し、アーケードが出来、レストランや商店が作られました。
1871年にはパレ・ロワイヤルは完全に国の所有となり、現在、国務院や文化通信省などがあります。
このパレロワイヤルのなかに、ル・グラン・ヴェフールがあります。
ル・グラン・ヴェフールの歴史
ル・グラン・ヴェフールはパレ・ロワイヤルの回廊の中にあり、その前進は1884年「カフェ・ド・シャルトル」としてオープンしました。
ル・グラン・ヴェフールのある場所
パレロワイヤルの北側にあります。
ル・グラン・ヴェフールに通った著名人
ジャン・ヴェフールによりレストランに変わり、著名人や知識階級が集まるレストランとなっていったのです。
パリ1区にある立地ということもあり、中でも
- ジャン・コクトー
- ジャン・マレ
- コレット
- ヴィクトル・ユゴー
- アンドレ・マルロー
- ジャン・ポール・サルトル
- シモ―ヌ・ドゥ・ボーボーワール
などは足しげく通った有名人です。
ル・グラン・ヴェフールが撮影された映画
レストランは、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」や、モーパッサンの短編映画などに撮影されました。
店内は小さめで、ぎっしり美しい装飾で埋め尽くされています。
ル・グラン・ヴェフールの店内の著名人名前
ル・グラン・ヴェフールのレストラン内には、ジョルジュ・サンドが食事をしたという席、隣が文豪の一人アレクサンドル・デュマ(父)の席で、また後方がナポレオンとジョゼフィーヌなど、テーブルには名前がついています。
他の星付きのレストランの店内の装飾とは違い、ずっと歴史の重みを継承している貴重な存在です。
それでは、ル・グラン・ヴェフールのランチをみてみましょう。
ル・グラン・ヴェフールのランチ【2018年時】
2011年からシェフのギィ・マルタンさんが、オーナーになりました。
ランチのメニュー
ランチタイムのコース料理です(^^♪ お昼は比較的手ごろなお値段です。
5品からなっています。
バターは、ベイユヴェールのバターが置かれています。
最初の前菜の前のミ―ズ・オン・ブーシュです。
その次の前菜で、クリのポタージュです。
カモのフィレのポテトのピューレ、カシスソース添えです。
次に、ポテトピューレのトリュフソースがでてきました。
写真を撮るのを忘れました。
次のチーズでがワゴンで出てきますので、中からいくつか選べます。
ワゴン上にも30種類くらいはありますが、頼むのは大体3種類くらいでしょうか。
次に、デザートの前の小デザートのチョコレートです。
それから、デザートはチョコレート「ラ・スルプリーズ・オ・ショコラ」と言って、アイスクリームが乗ったガトーショコラのミロワール。
その後に、ベトラブのムース、
そして、マカロンとコーヒーが。
コースとしては、前菜、メイン、デザートの3品ですが、ミーズ・オン・ブーシュと、ジャガイモのピューレ、小さめのデザートが2つ、そしてマカロンや、果物のコンフィがありますので、おかなを空かしていかないと、お昼のお得なコースでも全部は食べきれないです。
ランチのメニュー【2023年】
2021年にル・グラン・ヴェフールは星2つを落としいます。
現在はメニューの品数も3つとして、値段も45ユーロからにしています。
では次に、ル・グラン・ヴェフールのオーナーのギィ・マルタンシェフの料理に対する姿勢や、食についての考えをご紹介します。
ル・グラン・ヴェフール、ギィ・マルタンシェフ
マルタンシェフってどんな人?
マルタンシェフは、1957年にフランスのサヴォワ地方ブール・サン・モーリスの生まれです。サヴォアといえばラクレットチーズで有名な地方です。
バカロレア(高校)を取得してから19歳でピザ店で働き始め、色々なレストランで修行をしつつ、独学でフランス料理を極めていきました。
1985年には、シャトー・ドゥ・ディヴォンヌでシェフとして働いて6か月後に、ミシュランガイドから一つ星を獲得しました。
このレストランではたったの3人でやっていたのと、6か月という短期間に、料理の世界を確立してしまうのですから驚きです。
その後1990年、同レストランで、二つ星を獲得しました。
そして1991年にル・グラン・ヴェフールの料理長兼ディレクターに就任後、2000年同レストランを18年ぶりに三つ星昇格に導きました。
その後評価は二つ星へ、現在は星を落としましたが料理への情熱を食育で展開しています。
マルタンシェフの食へのこだわり
マルタンさんはル・グラン・ヴェフールのシェフとしてフランス料理の伝統を守りつつ、料理の素材は特に厳選しています。
ル・グラン・ヴェフールで出しているバターは、フランスの西海岸にある伝統的な技法を使っている作っているヴェイユベールのバターです。
マルタンシェフの本
シェフは本も出版されています。食には特別なこだわりがあるシェフで、「シェフの哲学―食の探求から三つ星レストランの運営まで」という、料理の哲学についての本です。
【シェフの哲学ー食の探究から三つ星レストランの運営まで】↓
食育の面で、健康を害している人へ向けて、また健康を維持できるには食べ物がとても大事ということを主張されています。
フランスも日本と同じくストレス社会で、ファストフードを電子レンジで温めて食べる人が多いです。
ストレスがあり、またそんなファストフードで体調を崩している人へ向けて、食材こそが、病気への療法というメッセージを出しています。
栄養学専門のミシェフ・シャスト医師と共同で、病気の治療にもっとも効果的なのは食物であると、食育をし「栄養の再構築」という本を出版されています。
日本との連携
マルタンシェフはザ・キャピトルホテル東急と提携することになりました。
1990年にザ・キャピトル東急の総料理長の加藤シェフに会ったのがきっかけで、提携にいたりましたが、料理に通じるところがあるようです。
「私はザ・キャピトルホテル 東急の総料理長である加藤 完十郎氏と1990年以来のお付き合いをさせていただいています。今回の提携はその28年の友情の結晶とも言えます。
<中略>
また、フランス語で“Art de vivre”(art:芸術、vivre:生き方)という概念があるのですが、フランス人の私から見て、ザ・キャピトルホテル 東急は日本の文化を大切にした、まさにそれ持っている素晴らしいホテルだと感じています」
引用先 : http://www.hoteresonline.com/articles/6223
自身のフランスの料理のノウハウを日本に伝えると同時に、ル・グラン・ヴェフールの料理に日本の食材と味わいを取り入れているようです。
ミュスカード【2024】
1月初めに友人と行ってきたカフェをご紹介します。
友人と行っても、インスタで知り合った日本人女性です。
3年インスタをしていて、初めてリアルで会ったのです。
そのカフェが、ミュスカドです。
お店の前のウインドーでどんなケーキがあるか見られます。
中に入ってからゆっくりと選べます。
こちらのカフェ・レストランのお店の人は、日本語も話せるので、行きやすいと思います。
また、一緒におちゃをした方は、Yoshikoさんです。
インスタのアカウントはこちらです。
https://www.instagram.com/paris_cottan/
二人で3時間くらい、おちゃだけしてもなにも言われなかったカフェです。
まとめ
歴史の重みを感じるル・グラン・ヴェフールの料理と、ミュスカドのケーキです。
ギィ・マルタンシェフはフランスの東のサボア地方の出身で、フランスの各地方の特産物の特徴を活かした料理の継承に務め、日本との交流を大事にしたフランスの有名シェフです。
ル・グラン・ヴェフールはパレ・ロワイヤルにあり、伝統的でシックなレストランです。フランス料理のレストランの中でも伝統を重んじ、また素材を大事にした料理が味わえます。
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