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田中絹代監督映画特集がパリで上映!日本の昭和レトロをフランスが好きなわけ





日本映画史を代表する大女優の一人、田中絹代(Kinuyo Tanakaたなか きぬよ)さん。

彼女は日本で2番目の女性監督、制作した映画は合計で6本も。 監督としてあまり知られていないですよね。

それが昨年2021年には、世界3大映画祭の1つのカンヌ国際映画祭(7月6日開幕)のカンヌクラシック部門で、その6本のうち1本「月は上りぬ」が上映されました。

今パリのMK2(エムカドゥー)映画館で6本が上映中です。 2月22日まで。

作品が一挙公開とは日本でもないことですよね。

みたい場所へ↓ジャンプ。

 

田中絹代監督の映画が特集の6本

  田中絹代監督の作品は合計で6本あります。 1950年代から制作されました。
恋文(1953年、新東宝)「Lettre d'amour」
月は上りぬ(1955年、日活)「La lune s'est levée」
乳房よ永遠なれ(1955年、日活)「Maternité éternelle」
流転の王妃(1960年、大映)「La princesse errante」
女ばかりの夜(1961年、東京映画)「La nuit des femmes」
お吟さま(1962年、文芸プロ)「Mademoiselle Ogin」

世界3大国際映画祭のカンヌクラシックと田中絹代の映画

今年2022年には映画館で上映されているのは6本で、そのなかの「La lune s'est levée」「月は上りぬ」が先駆けて世界3大映画祭のカンヌ映画祭で2021年に上映されました。

世界3大国際映画祭

世界3大映画祭には、
ヴェネチア国際映画祭
ベルリン国際映画祭
カンヌ国際映画祭
があります。

カンヌ国際映画祭とカンヌクラシック

カンヌ国際映画祭のカンヌクラシックは、2004年に同映画祭の一部門として設立されています。

文化遺産としての作品と思われるもの、また過去の名作で修復された偉大な映画を選んでいます。

カンヌクラシックと日本映画

日本映画の最盛期は1950年代から60年代です。フィルムで撮影、上映されていました。

フィルム作品は劣化してしまいます。劣化すると、退色も悪くなり、傷ついてしまいます。

そこでデジタル化をするわけですが、フィルムから映像を修復し、デジタル化するのは、大変な作業だったようでが、「月は上りぬ」も制作会社の日活がオリジナルの35ミリフィルムを4Kで修復したものです。

デジタル化した甲斐もカンヌクラシックに選ばれた訳です。

田中絹代の映画特集を上映するパリの映画館MK2

私が行ったのはMK2の映画館のバスチーユと、ビブリオテークでした。

田中絹代の映画を上映するMK2

2月16日からMK2のビブリオテークとバスチーユで公開しています。

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6本全て観れるなんて、感激ですね。フランスの日本好きには感動です。

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田中絹代の監督作品と私が観た作品

田中絹代の「La lune s'est levée」「月は上りぬ」

6本のうちの「La lune s'est levée」「月は上りぬ」が去年のカンヌクラシックでの上映に選ばれています。

この映画は、戦時中に東京から奈良に疎開した浅井家の家族の日常が描かれています。

3姉妹の恋愛模様もありで、父茂吉役が笠智衆さん、長女千鶴が山根寿子さん、次女綾子を杉葉子さん、三女節子を北原三枝さんが演じていました。

スタイルは小津監督の東京物語を彷彿させます。

面白いのは、次女綾子が恋をして、電報を相手に打つの時に、万葉集の番号を伝えるのです。

電報には、3755と666で思いを伝えています。

「愛(うるは)しと 我が思(も)ふ 妹を 山川を  中に隔(へな)りて 安けくもなし 」 3755 中臣宅守

「 相見ぬは 幾久(いくびさ)さにも あらなくに ここだく我(あ)れは 恋ひつつもあるか 」 666 大伴坂上郎女

このような歌の引用がフランスでは気に入られたのかと思っています。

田中絹代の「Lettre d'amour」「恋文」

戦後の進駐軍との恋をとおして、社会体制を批判した映画。

復員兵かつエリート軍人だった真弓礼吉(森雅之)が、弟のアパートで兵学校友人だった山路直人(宇野重吉)と再会し、そこでアメリカ兵宛のラブレターの代筆業をして日銭を稼ぎ生計をたてることになった真弓。

真弓にはずっと思い焦がれる、道子という幼馴染の女性がいました。

戦後5年さがしていた真弓です。山路が経営する代筆業屋に、ラブレターを依頼しに道子が現れたのです。

別の男と結婚したはずの道子がアメリカ兵相手の洋妾となり落ちぶれたと解釈して、道子の行動を批判するのでした。

田中絹代監督は、端役で映画にでているが、アメリカ兵相手に恋をするのも、時代が産んだ副産物と、社会の犠牲者であると体制を批判しています。

面白いのは、フランス語訳で、山路が奥さんを「おーい」と呼ぶのに、「Chérie」と訳されていたのは、文化の違いを感じる部分です。

田中絹代の「La nuit des femmes」「女ばかりの夜」

昭和33年には、売春防止法が施行されたにもかかわらず、その後も売春は絶えず、摘発が多かった。

生活苦で生き延びるためには売春しかない昭和の時代に、厚生寮で更生の道をめざす女性の受け入れは厳しい現実。再び売春婦に戻ってしまう女たちも少なくなかったのでした。

野上(淡島千景)はそんななか、女性を理解する寮母で数十名の女性が更生するべく指導を。

主人公の邦子は職安の紹介で食料品店に住み込み、侮辱や嫌がらせを受け、我慢しきれなくなり邦子はまた、街娼に戻ろうとなり、私服刑事に捕らえら、寮へまた戻るのでした。

その後また邦子は工場でリンチに遭い、再度寮へ戻るのでした。

そして、次の働き口は、初めてまともに、人間と扱ってくれる仕事先で、結婚相手となりえる人とであうのであったのですが、家の反対で、再度自尊心を傷つけられる、社会からはみ出た、昭和の貧困が産んだ女性を、田中絹代監督は女性の立場から描いている作品でした。

田中絹代の「Maternité éternelle」乳房よ永遠なれ

するべきではなかった結婚相手との不幸続きで、夫が不貞がわかり離婚を決心した、ふみ子(月丘夢路)は、2人の子どもを連れて実家に戻るのでした。

実家に戻りふみ子は歌会で歌を片手間に書いていたのです。夫との離婚手続きが済み、息子は夫に引き取られ、引き裂かれることになってしまった。そなん中でふみ子の歌を励ましてくれていた堀卓が亡くなってしまったのでした。

息子を取り戻し、決心したときに、乳がんと診断を受け乳房が切断手術をうけるのでした。

そこで一時的に、ふみ子が詠んだ短歌が話題となったのですが、ふみ子はさらにガンが肺に転移し、余命すくない命となったときに、 新聞社のふみ子を応援してくれる新聞記者と出会うのでした。

とは言え、肺がんが治癒することもなく、間違った結婚と、がん闘病で、最後に人生に生きる喜びを見付けたのも束、新聞記者と儚い恋をし、亡くなるのでした。

MK2田中絹代監督まとめ

フランスでは、黒澤監督、小津監督、溝口監督の映画はすでに定評がありますが、何故、今フランスで田中絹代の監督作品を上映しているのか。

6本のうち4本を観て、田中絹代監督がアバンギャルドな監督だったと痛感です。

底辺で生き続ける女性たちを女性監督の視点で、戦後の女性と社会体制を描いていたのですね。

6本も日本の女優監督の作品が一挙に上映されるというのも珍しいですが、生命力を感じる田中絹代監督の作品は、パリという働く女性の視点から共感があると感じました。

www.franceinfos.xyz

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