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ジレジョーヌのデモが1周年経過!いまだに終結しない理由があるのか

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ジレジョーヌのデモの開始後1年が経ち、11月17日で1周年を迎えました。

当初この運動が1年も続くとは誰しも予想しなかったでしょう。

この運動が長期間続いたには理由があります。

マクロン政権が発足し、裕福層への富裕税の引き下げが始まり、片や低所得者層へ日常的な負担率が上げられていくなど、不均衡な政策への憤りが、ジレジョーヌのデモの始まりでした。

1年経過し、このデモがフランス社会にもたらしたものを振り返ってみると、社会の中で富の再分布があったのかといわれると、そうではないといえます。

ジレジョーヌの参加者は、地方在住者のどちらかというと、中間貧困層です。

地方からみれば、首都のパリは、大手ブランド、大手銀行がある富の象徴ですし、地方でこれほど困窮している事実を理解できない、マクロン政権は、銀行家出身ということで、ジレジョーヌの標的となったのです。

マクロン政権への強い恨みが原動力となり、過激なデモが繰り広げられましたが、実際のところ、富の再分布はされずじまいです。

それどころか、デモの余波は、シャンゼリゼ通りの商店の被害、商店にとっては損害による、保険代の上昇、修繕費の支払い、観光客の減少と、フランス経済にとって、打撃を与えるものでした。

1年が経過した現在、ジレジョーヌのデモも下火になったものの、ジレジョーヌは他の形で、不満を訴え続けています。

 

1周年を迎えたジレジョーヌのデモ

 

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ジレジョーヌは、フランス語で『gilets jaunes 黄色のベスト』です。ジレジョーヌのデモは、フランスの地方にある車道の片隅で、ひっそりと数人単位で始まりました。

地方の一般道の交差点に、サークルになった場所があります(ロン・ポワンといいます)。フランスの道路がそんな作りになっていて、そこにジレジョーヌは集まっていました。

デモを通し、マクロンへ政権に対して、

  • 自動車の燃料税の値上げを廃止
  • 給与の最低賃金の値上げ
  • 年金生活者のCSG(一般社会貢献税)の値上げの廃止

これらの要求をしたのですが、当初はマクロンさんは一向に応じなく、無視をしていたのですが、ジレジョーヌのデモは毎週土曜日に繰り広げられ、3週間後の12月10日にやっと、マクロンさんが譲歩策を発表したのです。

内容は、10億ユーロ(約1兆3千億円)の拠出で、毎月100ユーロの給与アップと、増税は取り止めとなったのでした。

一見すると、譲歩額は大きいように思いますが、ジレジョーヌは満足せずに、デモは毎週続くことになったのです。

回数では、53回もあったのですが、集結度や、参加者のまとまり面ではそうでもないというのが現実です。そこがジレジョーヌの特徴なのです。

ジレジョーヌの1周年のデモの集結度は?

2018年11月17日のジレジョーヌのデモ参加者は、約28万人でした。28万人というと、中規模な都市の人口数です。

最初のデモ(アクト1)にはそのくらいの人が、フランス全国でデモに参加したのです。

しかし、この日がデモの人数でピークを迎えそれから、徐々に下火と。

1周年で巻き返しができるのかという予測もありましが、結果はフランス全土で約28000人、パリでも4700人のみの参加となりました。

人数でいえば、1周年の間に脱落した人は多く、10分の1になっています。

赤穂浪士の討ち入りの際にも、脱藩者はありましたが、お金がついてまわることですので、人数は減っていったのです。

地方からパリに移動するにはお金もかかり、普段仕事をもっている人が週末に移動をするのは、時間調整が必要です。

一般市民のフランス人はデモに賛成?

フランスの調査機関によると、ジレジョーヌのデモを支持している一般市民は約7割です。

このジレジョーヌのデモの様子は、世界中でテレビ放送されていますし、道路に駐車してある車が炎上している様子が流れています。

参加した人の中には、カッサー(壊す人)と言って、車への放火、建物の破壊など、過激分子がいます。そんな様子は1年たってもまだあります。

これらの、カッサーの行為は誰も認めてていなく、迷惑行為です。

フランスの一般市民は、毎月お金の問題で生活が苦しいジレジョーヌの人達に同情する人も多く、数字では先ほどいいましたように、約7割の人が気持ち的には、ジレジョーヌを支持していますが、このカッサーの破壊する行為を全く歓迎していなく、再度ジレジョーヌのデモが盛り上がるのを望んではいません。

ジレジョーヌは、1周年を迎える11月16日(土曜日)と17日(日曜日)のデモへ、他のデモをしているグループである、学生や組合への参加を呼びかけました。

しかし他のグループからの参加者はほとんどなかったのです。

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参加しなかった理由は、カッサーが過激な行動に出ることで、その場に居合わせると留置所へ連行となり、何もしていないのに、その場に居合わせることで留置場送りになるのは避けたいという思いです。

結局参加の呼びかけをされた時には、参加をするとは言っていたものの、他のグループから参加者がほとんどなかったのです。デモが過激になることを予測していたということです。

では、なぜ、ジレジョーヌのデモがあると、いつもこんな破壊があるのかといえば、これもジレジョーヌの運動の特徴の一つで、リーダーがいなく組織化されていなことです。

フランスの各都市や町で、各地のデモは、各都市で行われ、統一されたものではなく、暴動を起こす一部の人達を制御できないからなのです。

参加していない市民にしてみれば、ジレジョーヌ参加者が生活難なことは知っているので、この考えは支持しているますが、モノを壊すのは別なので、1周年となったのですが、再開してデモ参加人数が増加することががないようと思っています。

また、ジレジョーヌのデモが盛り上がらない背景には、警備をしている警察側の準備の完成度が高くなったという面があります。

警察官側の警備の完成度は?

リーダー不在のジレジョーヌ側の結束が構築されていなかったことに対して、この1年で、警察官側は進歩をとげました。

ジレジョーヌらしきデモ参加者が、デモ地区に入る前に、リーダー格の目ぼしい人物を予め拘留に連行することで、デモ人口の数の制御をしたました。

デモが始まった時点で、参加者の中で過激な行動にでる人物がいれば、すぐ逮捕を行う、サイ榴弾の投下や、水泡の投入など、連携プレーが功を奏したのです。

デモは、申請制です。この11月16日の1周年でも、パリではシャンゼリゼ通りのデモを申請し、許可が下りましたが、シャンゼリゼ通りのデモも、過激運動がでた時点で、パリ警視庁がデモのキャンセルをしたのです。

そうなるとデモに参加すること自体が違法になります。

行政側はこの1年で学習で、成果を発揮できたといえましょう。

シャンゼリゼ通りのデモが中止になり、イタリア広場にデモが移ったものの、過激な行動があると同時に逮捕するなど、警察側は、被害の食い止めが巧妙になったのです。

それでも、数でいえば、ジレジョーヌの呼びかけに対して、集結度が低く、人数が集まっていなかったことも、盛り上がらなかった一つの原因になります。

まとめ

いかがでしょうか。

ジレジョーヌのデモの1周年の様子をまとめました。

ジレジョーヌのデモが毎週土曜日にあり、それでも、貧富の差は変わらず、マクロン政権への恨みが残っています。

去年の11月の段階で、支給するものは早めに行っていればよかったのが、後手にまわり、1年も経過し、この12月のストへと不満が拡大しました。

マクロン政権への不満は、ジレジョーヌだけではなく、年金を受け取る年金生活者、医療機関や、警察官やその家族にとっても、現在進行形であります。

この12月のストが、継続になるには、市民が年金改革に賛同しておらず、ストを擁護する考えが主流で、また、ストによる減給の分、市民からカンパも募っていますので、金銭的に安心であれば、このストは1995年にあったフランスを麻痺させるストに発展する可能性が大です。

旅行者の方は、12月は運動靴で移動しないといけないかもです(^^♪

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