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フレンチシェフとヌーベル・キュイジーヌ!ポール・ボキューズとミシュラン

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今でこそ雑誌の表紙を飾ったり、テレビ対談に出演する数々の有名フレンチシェフや有名パティシエがいますが、50年前は名前に関心を持つ人はいませんでした。

いま脚光を浴びているシェフでも、日の目を見られない時期もありました。

そんなフランス料理のシェフの地位をここまで引き上げた、最重要人物といえば、惜しくも亡くなりましたポール・ボキューズさんでしょう。

フランス料理の歴史を作ってきたシェフ、ヌーベル・キュイジーヌへの変遷、現代のフランス料理界を牽引するシェフをご紹介します。(^^♪

フランス料理を築いたフレンチシェフ達

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フランス料理を世界のフレンチの地位に持っていったシェフといえば、ポール・ボキューズさんです。

レジオンドノール勲章に輝いたのが1975年です。

そして、ボキューズさんが活躍する前には、オーギュスト・エスコフィエという、大元のレシピの原型を作ったシェフがいました。

オーギュスト・エスコフィエ

オーギュスト・エスコフィエさんは、1920年に料理人として初めてレジオンドノール勲章を受賞しました。

このシェフ帽子を考案したのもエスコフィエさんと言われています。高さが30センチもあり、背が低くてコンプレックスがあり、帽子をかぶっていたそうです。

1903年、エスコフィエさんは初の主著『料理の手引き』(Le Guide Culinaire)を出版されました。

その後、彼の案した料理のレシピは何十年とレストランで踏襲され、付け合わせの材料も変えられず作られていたのです。

厨房で働く人は、軍隊のようにシェフをかしらに、組織化され、「ブリガード」と呼ばればれ、シェフの言うことは絶対です。

現在もこのエスコフィエさんのブリガードが踏襲されています。

代表的なエコスコフィのレシピで代表的な料理には以下のものがありました。

  • ル・オーマール・テルミドール(オマールエビのテルミドール)
  • ル・トゥルノド・ロッシーニ(トゥルノド・ロッシーニ)
  • ラ・ソル・ボンヌファーム(ヒラメのムニエル)

それから1960年代に入り、地方のフレンチシェフで、脚光を浴びるフレンチシェフが登場しました。

それが、ポール・ボキューズさんでした。

ポール・ボキューズ

ポール・ボキューズさんは1959年に家業のレストランを継いで、1965年には三つ星へ昇格させています。

当時の彼の交流にあったシェフには、

  • ジャン・トロワグロ(ピエール・トロワグロの兄)
  • ピエール・トロワグロ
  • ミシェル・ゲラール
  • アラン・シャペル
  • ジャック・ピック

などのメンバーがいました。

エスコフィエさんからポール・ボキューズさんの時代へ変わり、スター性が出たと言えましょう。

雑誌に顔が掲載され、スター的な扱いになり、ニューヨークに行き、取材されるようになったのです。

料理界には革新的なことでした。

時代がボキューズさんを中心に、ヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)を作っていったのですが、この時代のフランス料理界を大きく変えた料理評論家の存在があります。

ゴー・ミヨー(評論家)

ゴー・ミヨーはミシュランと同じ料理ガイドの会社名です。

クリスティアン・ミヨ(Christian Millau)さんと、アンリ・ゴー(Henri Gault)さんの二人の料理評論家の苗字、 ゴー、ミヨを合わせてたものです。

「ゴ・エ・ミヨ」という、レストランガイドを1969年に創刊しました。ミシュランガイドと同じくフランスで影響力のあるレストランガイドです。

ゴーさんとミヨさんも、ボキューズさんと同年代で、ボキューズさんのレストランへ行き、一日一緒に過ごして、フランス料理を語りそのまま夕食を食べることになったのです。

ボキューズさんが用意した夕食のメニューには、さやいんげんのサラダがありました。

さやいんげんのサラダの材料は、

  • さやいんげん
  • マッシュルーム
  • エシャロット

です。当時はまだ野菜の素材を引き出して、固めに茹でた素材の添概念がありませんでした。

出されたサラダを食べさせられた、ゴーさんと、ミヨさん達の反応は「ヴィシーの養生料理を食べさせるの?」と言ったものだったのです。

ヴィシーというのは、温泉療養地なのです(^^♪

当時の料理評論家にとっても、「少しだけ盛り付ける」という時代ではなかったのもあり、この時に、ヌーベル・キュイジ―ヌ(新しい料理)が始まったといえます(^^♪

その他に、ゴーさんとミヨさん達は、トロワグロのレストランへ行き、1週間も滞在して、一緒に厨房に入り料理を作っていたのです。

ボキューズさんと交友のあった、トロワグロさんとは、二人ともレジオンドヌール勲章を受章し、フレンチを世界のフレンチへと引き上げていったのです。

ピエール・トロワグロ

リオンに近いフランスのほぼ真ん中にあるロアンに、居を構える老舗といえば、トロワグロ一家のレストランがあります。

 

 

ピエール・トロワグロさんはポール・ボキューズさんの親友で、お互いの交友があり、料理研究をしていました。

ポール・ボキューズさんが実家を継いだとほぼ同時期に、ピエール・トロワグロさん(一番左)はマキシムの東京銀座店へシェフとして迎えられていました。 まさしく、時はヌーベル・キュイジーヌを迎えます。

ポール・ボキューズさんが大統領官邸(ジスカールデスタン元大統領)で、レジオンドノール勲章受賞時には、ピエール・トロワグロさんも一緒に招待を受けていますが、ジスカールデスタン元大統領のてこ入れはヌーベル・キュイジーヌと変わる、フレンチ料理界の将来を予測しているものです。

 

1955年ミシュランのレストラン・ガイドで一つ星を獲得。’65年二つ星、’68年三つ星に昇格。以来、自分達が作り上げた伝統の味を守り続け、長年に渡って受賞を続ける。’67年マキシム銀座店初代料理長として来日、日本におけるフランス料理の礎を築いた。世界中のフランス料理店のメニューに載る“ソーモン・オゼイユ”(サケの薄切りすいば風)の考案者としても知られる。’87年シェフとしては初めて、兄弟そろってレジオン・ド・ヌール勲章を受章。兄の死後は息子と共に腕をふるう。親日家。著書に「ロアンヌの料理人たち」がある。 受賞レジオン・ド・ヌール勲章〔1987年〕 引用元 : コトバンク ピエール トロワグロ

 

現在パリの三つ星レストランを代表する、ギ・サヴォアさんは、ピエール・トロワグロさんのレストランで修行をしていたのです!

厨房に料理評論家のゴーさんとミヨさん達(ゴー・ミヨーのレストランガイドの創始者)がいて、料理を作っていたのを見はしていましたが、料理評論家のゴーさんとミヨさん達だとは知らされていなかったのです。

後で「彼ら」だと分かって、「料理は今後メディアに流れる」と感じたそうです(^^♪

現在はピエール・トロワグロさんの孫のセザール・トロワグロさんの時代になっています。    

まとめ

ポール・ボキューズさんが、フランス料理の地位を世界のフレンチへ昇格させてから、約50年が過ぎました。

ヌーベル・キュイジーヌの与えた影響は計り知れません。

パリと地方での環境もこの20年で変わりました。地方で三つ星レストランを構えて経営されている有名シェフ、またパリをメインに活躍されている有名シェフがいます。

家の伝統として大物シェフの家に生まれ、伝統をまもりながら修行を重ね星付きレストランのシェフとなる場合もあれば、流れ星のように現れるシェフもいます。

かく言う、ボキューズさんのレストランもことし三つ星から2つへと降格になりました。 時代がかわり、ミシュランの星を辞退するシェフも出ています。

ネット時代に入り、ミシュランの星がついていない、手ごろな価格のレストランもでてきています。

時代は確実に変わり、レストラン経営も変わっています(^^♪

www.franceinfos.xyz

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